mitsh’s blog

くだらない日記

川上の流れに (1)

(連載予定ですが、続くかどうかわかりません。フィクションでモデルは自分です)

ここはただの広場だけど以前は神社があった。正式には川上神社であるが、一般には川上さんと呼ばれていた。
この話はまだここに神社があった昭和40年代からのことである。神社のすぐ横を多良川が流れており、その川の上流であることからきた神社の名前の由来であろう。神社の庭の約半分には桜
が植えられており、あと半分は広場だった。そこでは小学生がソフトボール、中学生が軟式野球の練習を行なっていた。夏休みに地区対抗のトーナメント戦があるので、5月頃から練習が始まる。学校のクラブに入ってないものは帰宅後川上さんに集まり、ノックをし合ったり練習試合をする。

またこの神社の広場は2つの集落のものが利用していた。1つは神社から川下に帯状に広がる端古賀地区、もう1つは北側に400mほど田んぼを隔てて
山ぎわに約1kmにわたり一列に家が並んでいる片峰地区である。片峰にも列の中程に神社がありはするが、敷地が狭く相撲をとるぐらいの広さしかない。

またチームも両地区あわせて1チームだったので、場所取り競争はなかった。
球技以外にも、夏は川で水泳をやる場所でもあった。魚と一緒に泳いでいると言っても過言ではない。尤も魚は人間から直ぐに逃げるのであるが、鉾を使っ
て魚を取るものもいる。

田上三郎は片峰地区の西谷(にしだに)組に住んでいる小学六年生で、ソフトボールの守備はファーストである。守備は大して上手くないが、練習試合では打つ方、だった。6年生になってやっとレギュラーになれた遅咲きの少年である。姉が2人、その下に兄が2人いて上の兄貞一は格闘技が得意で、下の兄繁はスポーツ万能なのに、三郎は体操と短距離以外のスポーツは並以下である。

通信簿の成績は体育の科目だけ3が多く、他は4と少し5があった。また先生の書く欄には、温和すぎて聞き逃すことがあるようです。と書かれたことがある。つまり白昼夢のくせがあるのである。時々授業は聞かず何かを考えながらボーッとしているのである。その為授業について行けないことがあり、一つ間違えば落ちこぼれになるのである。

事実一年の時には引き算がわからず、試験の解答に困ったことがある。そこで追いつくために学習してやっと人並みになれたことが、2、3回ある。
話が前後するが、この傾向は高校生になっても顔を出し、一年から二年の初めにかけて数学で落ちこぼれになり、これではいけないと自宅で一年の教科書から勉強しなおして、なんとか追いついた。

話は小学生時代に戻る。こうやってソフトボールの練習をしたにもかかわらず
本番では1回戦で敗退した。原因は打てなかったことに尽きる。バッティング
の練習にもう一工夫必要だったのである。三郎の安打はゼロだった。いい当たり
もあったのだが、センターの真正面だった。