mitsh’s blog

くだらない日記

川上の流れに (2)

三郎がソフトボールの練習から帰ってやることは、鶏の餌やりと井戸の手押しポンプで風呂の水汲みをやり、薪で風呂を沸かすことだった。まだ水道もガス
もない環境で暮らしていたが、別段不便に感じることはなく、当たり前のことだと思っていた。

親の職業は農業で、蜜柑と稲作が主で、大豆、キャベツ、菜種、高菜なども作っていた。蜜柑畑は拡張時期で蜜柑の苗を植えるのが大変で、大きな穴を掘り、底に肥やしとなる枯れ枝を敷き、土をかぶせ次に蜜柑の苗を植えるの
だ。穴掘り一つにつき10円の小遣いを貰っていた。子供時代の貴重な収入源であった。

貰った金で釣竿、釣り糸、浮き、釣針を買い、堤や川で釣りをするのが一つの娯楽だった。釣れる魚はフナやハヤで、鯉は釣ったことがなかった。

友人の川辺祐一は堤で鯉を釣るのがうまいので、「エサはどぎゃんして作いをっと」 (どういうふうに作っているのか)と聞くが、「ひ・み・つ」と教えてくれない。川辺は左官の父と釣りをすることもあり、父から教えて貰っているのだろうと推測
した。見た感じでは小麦粉と味噌と酒を混ぜ込んだ普通のエサに見えるのであるが、何かが違うのであろう。

川辺は片峰の西にポツンと一軒離れた家に住んでいるが、端古賀(はこが)に属して
いる。飛び地みたいなものである。なぜかソフトボールの練習にも試合にも出て
こない。家に遊びに行くとキャッチボールとか巨人の星の「消える魔球だぁ」とか
いってピッチャーもやるので、スポーツが嫌いなわけでもなく、単に飛び地と言う
理由で仲間はずれになっているのだろうと三郎は思った 。