mitsh’s blog

くだらない日記

川上の流れに (3)

中学生になったら軟式野球になるのであるが、三郎は3年間ともレギュラー入りはできななかった。大きくバウンドする球を取るのがどうしても不得手だったからである。バウンドする瞬間か、放物線を描いて落ちてくる球に合わせれば取れるのであるが、それの再現性に乏しかったのである。球が頭のずっと上を通りすぎることが多かったのである。

六月にもなれば、神社横の川は蛍が乱舞する。三郎は幾度と
なく眺めた事がある。当たり前の眺めだとしか思わなかったが、美しく幻想的だと感じたことも確かである。


〜音楽への目覚め〜l
もの心がついて初めて耳にした曲は小林旭が歌う 北帰行 である。どこかの真空管ラジオから流れていたように思う。それとも有線電話からだったのかよくわからない。
思い出に残る曲は、小学生の時 に聴いたThe BeatlesのGirl、Michelle、Yesterday 。三郎の兄の繁が黄疸で入院中に判明した軽い結核で引き続き入院していた時に親が繁に買ってやったトランジスタラジオが繁の退院と共に我が家の仲間に加わった。今日のベストスリー と言うラジオ番組でThe Beatlesを聴いたのである。

プレイヤーは家にはなかったけど川辺の家のプレイヤー で聴いたDanièle Vidal の 天使の落書き (Aime Ceux Qui T’aiment)
Mary Hopkin の 悲しき天使 (Those were the days )は今でも印象に残っている。

プレイヤーは持っていなくて買ったレコードが レーモン・ルフェーブルの 哀愁のアダージョ である。針口良美の家で聴いたら、針口も気に入ったのかレコードは返してくれなかった。ギターをいつも弾かせて
貰っているからいいや、と三郎はしょうがないと納得する。

三郎が初めてギターを弾いたのは中学三年のときだ。上記のように針口の家だった。
この頃はグループサウンズ全盛期で、歌では加橋かつみの花の首飾りが気に入りだった。これの前奏の単純なアルペジオが好きで、この歌でアルペジオを練習したいと思うようになった。

いつしか 禁じられた遊び くらいは弾けるようになった。
フォークソングの歌とギターの弾き語りができるようになった。
それから、中学3年でしばらく音楽修業の為にブラスバンド部に入り、トランペットを担当したが、自分で納得できる演奏は出来なかった。
音楽をやるのは簡単ではないと感じた。

高校になったら、二年の時にブラスバンドに入り、トロンボーン教則本で基礎から練習した。1年で納得のゆく演奏ができるようになり、野球部の応援をやったり、吹奏楽コンクールに出場したりした。コンクールでは練習のときのようにはうまく吹けなかった。
自分としては悔いが残る演奏だった。

三年最後の演奏会では、トロンボーンと歌謡曲の時にはエレキベースを担当した。ベースはギターの3弦から6弦までとは
オクターブが異なるだけで、チューニングは同じなので使い方に
はすぐに慣れた。演奏会ではベースは目立たない存在であるが、
納得のゆく演奏ができた。

三郎は結局ギターは借りてばかりで、自分のギターを持つの
は後に就職してからとなる。