mitsh’s blog

くだらない日記

川上の流れに(9)

〜趣味〜
三郎は富士通時代に先輩に連れられて山登りをした。北アルプスの燕岳、
南アルプス仙丈ケ岳などであるが、風景の美しさでは山ではないが、
上高地が一番印象に残っている。

いつか富士山に登るつもりで、走り始めた。下手くそな走りであるが、
いつのまにか走る仲間に入り、駅伝とか20kmのレースに参加するように
なった。高専時代と同時期であり、ランニングは転職してからも続けた。

1977年だったと思うが、高専の仲間4人で7月の富士山に登った。
大月駅(だったと思う)近くで野宿し、朝の寒さに震えていた。バスで五合
目まで行き、吉田口から登る。3時間半ぐらいで頂上に着いた。
手や腕は青ざめており限界と言える状態だったが、食事して昼寝をしたら
元気になり、お鉢巡りをした。登る時はオーバーペースだったかも知れない。
下りは須走コースをとり砂場の所は殆ど走って降りていった。

その後、富士山の落石事故が1980年にあったが、登っていて、いつ
起きてもおかしくないと感じた。

また会津や岩手への出張も多く、冬はみんなでスキーに行った。
スキーやスケートに必要な筋肉、バランス感覚は自転車に似ている。
スキーは少年時代にでこぼこの坂を走り下った経験が役に立った。
話しはランニングに戻るが、スケートのコーナーリングで使うクロス
は、走る際のコーナーワークに応用でき、急カーブを走る際にこれを
使うと使えない人に比べてぐんと速くなる。

もうスキーをやることはない。スケート場も近くにないから、もう
やらないだろう。以前レントゲンで膝の軟骨が薄くなっていたので、
ランニングも控えウォーキングにする。山登りはするかもしれない。

六十の手習いと言うので、何か習い事をしたいのであるが、車の運転が
できなくなった(免許は更新出来たけど)ので、簡単には出かけられない
というハンディーがある。
習っていたギターも知らないうちに家から消えた。車庫の上にしまっ
ていた古い安物のクラシックギターだけが残っている。就職して2回目
に買った3万円のギターだ。

ギターの先生から買ったギターは、長崎ギター音楽院長 山下亨先生が
選んでくれた20万円の鳴りの良いギターだったが消えてしまった。
(PCもギターも消えた。犯人は分かっているのだが、ここではあえて言及しない)
もう安いギターは弾く気がしない。

みさと笛でも練習して良いが、合奏する相手がいないと面白くない。
唐津で音楽仲間ができればいいが、大村のようにはいかないだろう。
三郎はそもそも爪が弱いから、クラシックギターには不向きである。
アロンアルファで補強しないといい音が出ない。
みさと笛一本でいくとする。
仲間が見つかれば障がい者施設や支援学校で演奏会をしてみたい気
がする。