〜就職後、そして転職〜
三郎が入社して仕事を少しずつ覚えて一人前になるのには約5年かかったと思う。
やっている仕事は写真技術を使ってシリコンの板の上に微細な回路をつくる工程で
ある。
工程途中で欠陥、異物のデータをとるだけの簡単な仕事から、歩留り向上の策を
考える仕事。使う材料の評価、比較選択する仕事。使う装置の評価、機種
選択。装置の問題解決、品質異常発生時の対応など。
また、自社製装置の開発への支援、生産導入。
工程の改善、短縮など多岐に渡る。
参考文献は大学レベルの物理、化学、機械などの知識が必要で、英語の文献が
主だった。日本語に訳した本や文献はどうしても時代遅れになるし、翻訳者の
レベルが低くて変な文になっている。多分学生のアルバイトでやっているの
だろう。まだ半導体産業が一般的でなかった時代だったし、プロの翻訳者でも
取っつきにくかったのかもしれない。
高卒の頭では難しいところがあり、会社に併設の工業専門学校に入ることにし
た。後から考えると東京電機大学の夜間部に行った方が良かったかも知れない。
入社してフォートランの教育を受けたが、成績はあまり良くなかった。
しかし、プログラミングが仕事上必要になったときは、不思議とできるように
なった。フォートラン、ベーシック、HP language (hp社の測定器をコントロール
してデータをとる為の言語)ぐらい であるが。C言語はほんの少しかじっただけ。
いずれにしても専門的な仕事で、つぶしがきかない仕事である。
後に1986年富士通をやめて転職するが、ヘッドハンティングではなく、友人の
誘いである。やる仕事は同じ業界なので、仕事面での不安はなかった。正月に
帰省した時に、マネージャー(部長クラス)の面接を受けた。
材料の問題について話しあったのを覚えている。どこでも同じ問題があるもん
だと思った。自分の仕事の一部だったので自分なりの理論で話した。
結果は、採用されることになった。
それから半年後にそこ(日本フェアチャイルド)に移ることになる。