mitsh’s blog

くだらない日記

川上の流れに(6)

〜就職まで〜
三郎は就職は関東よりも地震の少ない関西がいいと思い、
最初は松下電器(現パナソニック)を選んだが、入社試験で
落ちた。おそらく面接で落ちたのだろう。
次はアルプス電気を受けようと思ったが、担任の先生からは、
「大きい所にしなさい。富士通がいいのではないか」と助言
が有り、関東の富士通を選び試験を受けた。
面接で、「松下電器になぜ落ちたと思いますか」と聞かれ、
「面接で落ちたと思います」
と答えた。そしたら
「どんな質問でしたか」と聞かれ
面倒なので「忘れました」と答えた。
「自宅は農業とありますが、どんな作物を作っているのですか」
「蜜柑と稲作、あと漬け物にする大根、高菜などです」
「塩田は海岸から遠く蜜柑を作るには不向きではないのですか」
「住んでいるところは塩田でなく太良です。海岸沿いです」
「わかりました」
こんなやり取りで、面接は済んだ。結果は合格だった。
松下電器の面接試験はよく覚えていないが、
「クラス委員はどうやって決めるのですか」
「基準はなく、適切な者でなくても成績がある程度良ければ
当番で回ってきます」
こんな感じだったと思う。面接の雰囲気はあまり良くなかった
ことだけは確かである。

三郎は飲酒を伴った宴会がばれて、卒業式には停学で出られ
なかったが、就職には間に合った。
会社で上手くやっていけるか不安でたまらなかった。
横浜の第二藤が丘寮へ旅立つときは、肥前山口まで母が付き添って
見送ってくれた。そこからは列車の席に中学の先輩がいて、少し
心強かった。
ボストンバッグ一つで家を出て、長崎本線から鹿児島本線山陽本線
を経て新大阪駅から新幹線に乗り新横浜駅で降りて、国鉄長津田
経由で田園都市線の藤が丘までの旅は期待と不安でいっぱいだった。
昭和48年(1973年)の3月末のことである。