〜暴力について〜
大方の人間は大した暴力はふるわずに、一生を終えるの
ではないだろうか。しかし、少数の人間は少し腹が立つ
くらいでも相手を殴る蹴るの暴力をふるう。特に力の
比較的弱い反抗しない人間に対して危害を与える。
中学時代の 高田稔はそういう部類の人間であった。
「三郎は兄さんに仕返しされるのが怖いから殴られない」
と言っていた。高田の仲間は数少ないが凶暴だ。2人ほど
集まり倉庫の影のような目立たないところにいじめる相手
を呼び出し、まるでストレス発散する様に殴る。
殴られる方は、いっときの辛抱だと耐えている。三郎も
兄貴がいなければいじめの対象になっていただろう。
いじめるよりボクシングのジムにでもいけばいいと思うが、
なかなかそうはいかない。
中学時代のいじめはその程度で、シカトするような陰湿な
いじめは経験がない。
これまた一般的かもしれないが、卒業したら一部の教師
にも暴力を振るっていた。
高田は高校時代になると地域の手下どもに、時計を盗ん
でこいと指令していたようだ。昭和40年代は時計は貴重
品のひとつだった。質屋にも高く売れたと思う。手下の
1人が橋口純一である。三郎は橋口にしてやられた。
「返せ」と文句を言ったら別の時計をかえしてきた。
もちろんこれも人から盗んだ物であろう。橋口にはギター
を貸してもらった恩はあるが、それと時計は別物である。
高田稔はその後土方のアルバイトをして、よく働くという
評判だったが、若くして事故死をとげる。