mitsh’s blog

くだらない日記

川上の流れに(5)

〜暴力について〜
大方の人間は大した暴力はふるわずに、一生を終えるの
ではないだろうか。しかし、少数の人間は少し腹が立つ
くらいでも相手を殴る蹴るの暴力をふるう。特に力の
比較的弱い反抗しない人間に対して危害を与える。

中学時代の 高田稔はそういう部類の人間であった。
「三郎は兄さんに仕返しされるのが怖いから殴られない」
と言っていた。高田の仲間は数少ないが凶暴だ。2人ほど
集まり倉庫の影のような目立たないところにいじめる相手
を呼び出し、まるでストレス発散する様に殴る。
殴られる方は、いっときの辛抱だと耐えている。三郎も
兄貴がいなければいじめの対象になっていただろう。
いじめるよりボクシングのジムにでもいけばいいと思うが、
なかなかそうはいかない。
中学時代のいじめはその程度で、シカトするような陰湿な
いじめは経験がない。
これまた一般的かもしれないが、卒業したら一部の教師
にも暴力を振るっていた。

高田は高校時代になると地域の手下どもに、時計を盗ん
でこいと指令していたようだ。昭和40年代は時計は貴重
品のひとつだった。質屋にも高く売れたと思う。手下の
1人が橋口純一である。三郎は橋口にしてやられた。
「返せ」と文句を言ったら別の時計をかえしてきた。
もちろんこれも人から盗んだ物であろう。橋口にはギター
を貸してもらった恩はあるが、それと時計は別物である。

高田稔はその後土方のアルバイトをして、よく働くという
評判だったが、若くして事故死をとげる。