mitsh’s blog

くだらない日記

川上の流れに(11)最終回

日本フェアチャイルドの売却先が決まるまで三郎は暇な時間があった。
そこで1年間だけ日大の通信教育をうけることにした。
民間の会社で一番のネックになるのがスクーリングである。その為には
10日間近い休みが必要である。
これができるのは今しかないと思い文理学部に入学を決めた。

ときどき県内の通信教育の学生が集まり懇親会があった。学校勤めや
自衛隊が大半だった。
売却先が決まり忙しくなったら日大を辞めるつもりでいた。
結果は一年で除籍となる。

懇親会で知り合った山崎明子と仲良くなりつきあうようになった。
明子は大村工業高校の図書館で働いていた。ゆくゆくは通信教育
で卒業して教師になるつもりだそうだ。

長崎県は離島が多く、一度は離島に勤務するのが定めである。そ
れを覚悟の上である。

当時は三郎は諫早の安アパートに、明子は大村のアパートに住ん
でいた。レポートを見せ合ったり、気晴らしに稲佐山佐世保
展望台(弓張岳)とかにドライブした。
大村駅近くのワンスモアという洋食屋で食事をするのが一つの
楽しみであった。
また諫早大村市民劇場に入会し一緒に演劇を観るのも楽しみだっ
た。無名塾なんかよく来ていた。
明子は雲仙訛りの標準語をしゃべる。それにつられて三郎も関東
弁がでる。
唐突に「しょっぱいってどういう意味か知ってるかい」と聞いた。
明子は「酸っぱいとかいう意味でしょ」
「標準語では塩からい、塩っぽいとか言う意味だよ。昔の俺と同じ
間違いをしているね」と教えてやった。

仕事上明子は長崎市に引っ越す。引っ越しは明子と明子の父と三郎
の三人で行なった。引っ越しが終わってから明子の父親から「よろ
しくお願いします」と言われたことが心に残る。その時は既にソニー
が買収して忙しくなっていた頃だった。
32歳の三郎は結婚を考えていたが、明子は22歳と若く結婚には
迷っていた。「結婚したら別れる時にエネルギーが要るもんね」
とさめたセリフだった。それで結婚は断念した。

数年後三郎が黒髪山で出会った女性と養子縁組で結婚して名字が
加藤になる。
車の故障でJRで通勤していたら車内で「田上さん」と旧姓で呼ぶ
明子がいた。「結婚されたようですね。私通信教育で卒業して長崎
の学校で英語の教師をしていて、大工の人と結婚したの。でも籍は
いれてないの。そのうち夫婦別姓が認められると思うので、それ
まで待つの」
明子らしいセリフである。

妻は明子と違い、シワとり、シミとりの溶液を塗りのばすだけで
それ以上の化粧はせず、オシャレにも関心がなく実用的なもので
満足するたちだ。山登り、旅行、温泉が趣味で比較的安上がりな
人生を過ごしている。
自分が正しいと強く思い込むたちで、職場の人間関係でよく悩ん
でいた。また激しい気性の持ち主で相手に恐怖感を与えることも
あった。
若い頃に撮った記念写真はなかなかのものなのに、今はその面影
は鼻筋あたりに残っているのみである。
三郎が妻の夢を見るときは綺麗に化粧しているのを見る。

(この作文はフィクションでモデルは小生)